大河ドラマの「義経」を見ていて、今年は楽しめそうな気がします。渡哲也、平幹二郎、高橋英樹等の味のある大俳優に交じって滝沢秀明の演技も表情もいい。特に一癖も二癖もある性格の平清盛(渡)、妖気ただよう不気味さを持った後白河法皇(平幹)、義経の第三の父ともいう藤原秀衡(高橋)の演技には思わず引き込まれていきます。
 これら大俳優の中にあって未熟であるが故の新鮮さを漂わせる義経(滝沢)の演技も楽しみの一つになっています。ドラマを見ていて義経が7歳の時から住んだという鞍馬とはどのようなところなのか興味を持ちました。
鞍馬へ 
 春めいてきた日が続いていた3月12日、この日は真冬に逆戻りしたような天候で雪が舞い散る日となり、何らかの因縁があるように思えて鞍馬に出かけました。


 出町柳から叡電に乗り、寺院の形をイメージした鞍馬駅で電車を降りていよいよ鞍馬探訪の開始となりました。静寂な鞍馬の町並みを眺めながら歩くと鞍馬は木の芽煮(刻んだ昆布に山椒の実と葉を加え、醤油で佃煮にした物で伝統的な保存食)がどの店先にも並び、名物であることが分かります。この町並みを抜けると洛北の名刹鞍馬寺の山門に着きました。寺伝では鞍馬寺は770年鑑禎上人が霊夢によりこの山中にて毘沙門天像を得て安置したのが始まりだそうです。
 山門を潜り抜けケーブルカーには乗らず九十九折(つづらおり)参道を歩いて登りました。この道は清少納言が「枕草子」の中で「近くて遠きもの、鞍馬のつづらおりといふ道」と記しているように曲がりくねっていて本堂までは500bもあるのです。この道を登り始めると鞍馬の火祭りで有名な由岐神社があります。
 
由岐神社
 創建は940年で祭神は大己貴命・小彦名命です。社名は天災や騒乱の時に天皇が勅して社前に靭(ゆぎ、矢を入れて携帯する器)を掛けて祈られたことによります。拝殿は1610(慶長15)年に豊臣秀頼によって再建されたもので、中央を通路にしたいわゆる割拝殿となっています。急斜面に建っていることから、いわゆる舞台造りとなっています。
 由岐神社を超えて少し歩いたところに源義経公供養塔がありました。ここは義経が暮らしていた東光坊があったところです。義経は七歳の時からここで覚日阿闍梨に師事して学びました。昼間はここで学問を修め、夜は今日これから行く僧正ヶ谷で天狗から武芸兵法百般を習ったということです。

本殿金堂


 九十九折坂を登り詰めたところに本殿金堂があります。昭和46年に落慶供養された鉄筋コンクリートの入母屋造となっています。中央に毘沙門天王、東に千手観世音菩薩、西に護法魔王尊像が安置されています。
 この三像については、入山案内に『鞍馬山は、いつでもどこにでも存在する尊天の活力が満ち満ちている。「尊天」とは宇宙の大霊であり大光明、大活動体であり、そのはたらきは愛と光と力とになって現れる。愛を月輪の精霊(千手観世音菩薩)、光を太陽の精霊(毘沙門天王)、力を大地の霊王(護法魔王尊)の姿で現し、この三身(さんじん)一体を「尊天」と称する』とあったことを思い出しました。
 金堂前からの景色は遥か京都市内を一望できるらしいのですが、生憎の風雪で望むことはできませんでした。
 ここからいよいよ僧正ヶ谷の奥の院に向います。
 東光坊から僧正ヶ谷へ天狗に兵法を習いに行った遮那王(義経)が喉を潤したといわれる「息次ぎの水」の泉を通過して「背比べ石」のところにやってきました。 「背比べ石」とは金売り吉次とともに藤原氏を頼って奥州へ下ることになった遮那王が、鞍馬山と名残を惜しんで背比べをしたという石です。石の高さは120a、表面に「帰り越し帰り来んとは思へともさだめなき世の定めなければ」と彫られています。ただ、気になるのは16歳の遮那王の背の高さが120aだったのかということですが、多分、後世の付話なのでしょう。
木の根道
背比べ石のところから脇道に逸れると木の根道があり、与謝野鉄幹が詠んだ歌が思い出されます。
 「下にはふ鞍馬の山の木の根見よ堪へたるものはかくの如きぞ」
 この辺りは魔王尊が降臨したとも言われ鞍馬山(寺ではない)の信仰の原点となっています。魔王尊とはあらゆる魔物を征服し善神に転向させる転迷開悟、破邪顕正の力を授ける大王のことで、この魔王尊については鞍馬山の説明書では「宇宙の中心にいる大元霊である尊天の指令によって650万年前に金星から大魔王尊が派遣され鞍馬山上に降臨した」とあり、「人類救済の使命を帯び人類が遠い未来において水星に移住する時、人類を誘導してくれる」と結んであります。よく分からないのですが、この静寂の中に佇むと何となくその意味するところが理解できるような気がしたのでした。

義経堂
 謡曲「鞍馬天狗」で天狗と牛若丸が出会ったとされているのが僧正ケ谷の不動堂。その近くに義経堂があります。
 鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と名前を改め、奥州に行く途中に元服して九郎義経となりました。そして数々の働きのあと兄頼朝に追われて再び奥州に下り、衣川で最期を遂げたのです。鞍馬の人々は悲しみ義経の魂を遮那王尊と呼び、護法魔王尊の脇侍としてここに祀ったのでした。



奥の院魔王殿
 鞍馬山で一番神聖な場所と言ってもいいでしょう。魔王殿は前述した魔王尊を祀っているところです。
 ここはサンゴやウミユリなどの化石を含んだ水成岩があり、2億6千万年前に海底が隆起したとされています。その水成岩を盤座(いわくら、神の鎮座するところ)として祠を建て崇拝されているのです。
義経がここで平家打倒を祈願していたのかと思うと、今、同じ場所に自分がいる事に不思議な一体感を覚え、雪が降る中、山道を登った苦労が報われるような満足感を得た一日となりました。
(遠藤真治記)
All contents of this Web site. Copyright © 2003  Honnet Company Ltd.,All Rights Reserved
・